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| ■2007.5月 NO44 | ||||||||||||||
![]() 山火事跡に素敵なタンク 5年前の大規模な山火事から継続している「緑の山再生プロジェクト」の活動の一環として、4月15日に、山に設置されたタンク(防火水槽)に水を運んで防火意識を高めようというファミリーウォークが実施されました。 山火事当日、火に囲まれた現場近くの幼稚園の園児たちが絵を描いたユニークなタンクに、一人1P以上の水を持って登り貯水する催しで、約250人もの参加がありました。私たち本庄グループは、ちびっ子も、ご年配の方も、3世代ファミリーも、毎回ご参加の方も、お客様・社員あわせて約60人。一時間くらい歩いて、気持ちのいい汗をかきました。山の再生は、一年前の全国植樹祭の時より更に進んでいて、木々も高くなり、元気な新緑の若葉がたくさん確認できました。素敵な姿に変身したステンレスタンクが防火のシンボルになって欲しいものです。 がんばる岐阜 春の選抜高校野球では、昨年ベスト4の岐阜城北に続き、大垣日大が岐阜旋風を起し初出場ながらも準優勝。東邦高校時代は“鬼”と言われた坂口監督が“仏”に変わり、選手を上手くリードして力を引き出し、監督を中心にまとまったと報道された。夏の予選も盛り上がることでしょう。そして、サッカーの我等がFC岐阜は、34試合中12試合終了時点で、9勝2引分け1敗の2位につけています。厳しいゲームの中、得点は少ないが何とかものにしています。このまま行けば、JFL優勝・J2入り(JFL4位まで)も夢ではありません! まだヤマ場が先にあると思いますが、是非皆さんで応援しましょう。晩秋まで熱い戦いは続きます。 湿式を取り戻せ! 3,4年前、雑誌で直木賞作家の五木寛之氏が建築のことを引用しながら興味深い文章を書いていました。年間自殺者数が3万人を超え、家庭内などの悲惨な事件が増えていることに対して、「戦後の日本は涙もろく湿った感覚のある“情”の部分を排除し、乾ききった社会を作り上げた。建築では、30年前は当り前だった泥を水でこねて土壁を作り家屋を建ててきた戦前の湿式工法から、水を使わない乾式工法に変わったように、乾いた世の中に変わった。会話もない乾式家庭、リストラに怯えつづける乾式雇用、情緒を無視しコンピュータ管理する乾式教育など人間に関する事に現れている。」と。義理とか人情が忘れられ、やわらかい心、瑞々しい心がなくなっていると警鐘を鳴らしている。教育基本法が改正されたり、障がいをもつ子ども一人ひとりのニーズに対応する特別支援教育も今年度から一応始まり、教育再生が唱えられています。私たちも、住まいづくりを通して、工法だけでなくベタベタなつながりをより大切に取り組んでいきたいと思います。 It’s better. |
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「梅雨にも干せます」 |
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そろそろ梅雨の季節です。最近では雨が少なく“カラ梅雨”傾向が強い印象がありますが、今年の梅雨はどうでしょうか? この時期の悩みの一つが洗濯物だと思いますが、皆様はどうされていますか? 晴れの日には外で干し、雨の日や降水確率が高い日は室内で干したり、またカーポートや軒下にといったケースもあると思います。しかし、快晴の日以外はなかなかすっきり乾かないので、除湿機を作動させながらやエアコンをドライ機能にして湿気を取りながら室内干しをするなど、室内干しで上手に乾かす家庭が増えているようです。今回は、居間や洗面脱衣室などに後付でも設置できる室内用物干しの一例として“ホシ姫サマ”を紹介します。
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ちょっと になる話 「久松真一記念館“抱石庵”オープン」
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| 高校を卒業した後、10代後半の一年を大阪で過ごしました。東京にある大学を志望していたのですが、『大学生活の4年間は東京だから、その前に一年くらい関西もいいかな』という不埒な理由からです。大阪での一年間は、それまで自分が持っていた価値観をひっくり返すようなとても刺激的な体験がありました。 テレビがない生活を送っていたこともあり、とりわけラジオに登場する関西のお笑い芸人のキャラクターには驚きました。今から20年以上も前のことですから当時のことも忘れかけていたのですが、ここのところ記憶を呼び覚ますような機会を持ちました。松本竜助の追悼番組と横山ノックの死です。 1984,5年の頃のことです。平日の午後(確か月曜日)、『ポップ対歌謡曲』なる30分番組を楽しみにしていたものです。出演者は司会・上岡竜太郎、明石家さんま、島田紳助と豪華な顔ぶれでした。本来はポップ側と歌謡曲側に分かれ、司会者が出す問題に正答した側のリクエスト曲をかけるのですが、タイトルとは裏腹に三人のフリートークに盛り上がり、終了時間間際に慌てて司会者が問題を出し、正解側の曲のイントロが申し訳程度に流れるような進行でした。時々は出演者が遅刻をしたり、穴を開けたりすることもありました。それについて、言い訳的な『芸人論』が番組内で語られ、『芸人とは時間や金銭にルーズで社会人として常識に欠けることがあっても、生き様が魅力的であればいい。』的な結論に落ち着いたように思います。そんなある日、番組開始時間に三人全員がいませんでした。ディレクターが出てきて謝罪をし、いつもは時間がなくてかからない歌が何曲も流されました。放送時間が終わる頃、上岡竜太郎が駆けつけました。翌週は冒頭から三人が揃って謝罪をし、「いくらなんでも調子に乗ってやりすぎてしまった・・・。」「上岡さんくらい時間通りにくると思ってた・・・。」「迷惑かけんように・・・。」と次回以降の番組運営の不安をなくすような発言が続けられました。しかしその後も、さんまや紳助が遅刻したり現れないことがありました。にもかかわらず、人気番組として関西では長く支持され続けました。 松本竜助が亡くなって一年が経ちました。漫才コンビ『紳助・竜介』で一世風靡をした『竜介』はコンビ解散後『竜助』と改名、芸能活動で活躍する機会は激減し、転々と職を変え2006年4月1日に享年49歳で亡くなりました。コンビ解散後、島田紳助がタレントとしてはもちろん、事業家としても成功を収めたのとは対照的です。追悼番組で見る『紳助・竜介』の姿とネタには懐かしさを覚えました。毒のある、他人を傷つける笑いがありました。最近のお笑いブームに物足りなさを感じるのは歳をとったからではないと・・・。徹底的に他人を傷つけるのではないが、干渉したり茶化したりするのは幾ばくかの愛情、関心があってのことです。無関心ほど冷たい関係はないでしょう。 漫才ブームの時には『紳助・竜介』はアイドル的存在でもあり、『ガキ帝國』なる映画に主演しています。内容はアイドル映画的に『紳助・竜介』がヒーローとして活躍するにとどまらず、大阪の暗部にもふれるもので若き日の『井筒和幸』が監督をつとめたこの映画は秀逸で必見です。 『横山プリン』を知っている人はディープな関西人です。横山ノックの弟子で破天荒な破滅型の芸人です。横山ノックの死を伝えるニュース・情報番組などで彼の姿を見て懐かしくもあり、そんな形でしかメディアに登場しないことにさびしくもありといったところです。 横山ノックはご存知の通りタレント業のかたわら国会議員を長く務め、その後大阪府知事にまで上りつめたものの、破廉恥事件で失職し、晩年は芸人としての活躍の場も寂しいものでした。咽頭がんにより声が出ないことの不安から復帰への希望も萎んでいたと聞くに至って、彼こそ面白く哀しい芸人の生き様を見せてくれたのだと思います。 木材業界の大先輩が『昔はよくケンカがあったのに最近は見ないなあ。柳ヶ瀬はもちろん、仕事場でも・・・。酔っ払って肩がぶつかったり、飲み屋の席を譲る、譲らんとか・・・。仕事のやり方が気に入らん。騙しやがった。と、もめたら取っ組み合いのケンカになったものが、 最近ではギリギリまで鬱積して『ブスッ』の世の中だからなあ。』と話してくれました。スマートに他人と距離を置くのが良しとされる社会の歪さを感じずにはいられません。『オレオレ詐欺』に大阪の人が引っ掛かりにくいというデータのニュースを聞いて、今なお20年以上前と同じ時間が大阪には流れているのではないかと気持ちはタイムスリップしました。を取り消されたのは、イーホームズ社だけです。日本ERIを始め他い |
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